ブルーノートとECM

創設者の情熱がジャズの歴史を創った、「最個」2大レーベルの物語

一介のジャズ愛好家が、自らレコードレーベルを起こし、ジャズ史を大きく変える金字塔を成し遂げた。そんな夢のようなサクセス・ストーリーがジャズにはある。それも音楽、ミュージシャンからレコーディングの音、ビジュアルデザインまで全てにわたって、最高の個性を刻印して。
ブルーノートのアルフレッド・ライオンとECMのマンフレッド・アイヒャー、この二人がそうだ。
ファンの間で世界一のジャズ・レーベルといえば、よほどのへそ曲がりでない限りブルーノートという答えが返ってくる。何故ブルーノートがそう呼ばれているのか?それはドイツ移民で創始者のアルフレッド・ライオンが、商売抜きで優れた才能を世に紹介し続けてきたからだ。
英語もろくに話せないドイツ人のジャズ好きフリーターが、マイナー・レーベルを立ち上げる。
その名は「ブルーノート
1908年4月21日、ライオンはドイツの首都ベルリンで生まれた。父親は建築業を本業にしていたが、美術品の熱心なコレクターで、友人とアート・ギャラリーを経営するような人物だった。こうした環境が後のライオンに美術商の道を歩ませたのだろう。彼がジャズと出会ったのは1925年の事で、最初に聴いたのはサム・ウディングとチョコレート・キディーズというグループだった。
 そのライオンが会計学を学ぶ口実で、わずか100ドルを持って最初に渡米したのが1928年のことである。このときはほとんど英語も喋れなかった。そのため、低賃金の肉体労働で食い繋ぎながらデユーク・エリントンやジェリー・ロール・モートンなどのレコードを買い集めたという。しかし精根尽き果てた彼は1930帰国している。
 その後ライオンは、フランス人の銀行家と再婚した母親についてフランスへ渡る。ユダヤ系の彼女は反ナチスレジスタンスに身を投じ、息子であるライオンはナチスの勢力拡大に伴い、自身の身も危険になったことから美術品の貿易をする会社の社員として南米のチリに脱出したのだった。そこで2年間働いた後の1937年、知り合いの紹介でニューヨークの会社に雇われ、彼は再び憧れの街にやってくる。
 運命の時が訪れたのは翌年の事だ。1938年12月23日、「カーネギー・ホール」で開かれた『フロム・スピリチュアルズ・スイング』と題されたコンサートに行く。このときに聴いたアルバート・アモンズやミード・ルクス・ルイスのブギ・ウギ・ピアノに感激したライオンは、コンサート終了後に楽屋を訪ねてレコーディングを申し込む。
 年が明けた1939年1月6日、マンハッタンの貸しスタジオでライオンは二人のレコーディングを行う。このセッションは個人的な楽しみのつもりで、レコーディングをするまでは自分と友人たちのためにごく僅かな枚数をプレスして終わりにする予定だった。しかしあまりに内容が素晴らしかったことから、ライオンは最初の考えを変更し、この演奏を市販することにした。ブルーノートの歴史はここから始まる。
 1939年に誕生したブルーノートは、当初ブギ・ウギ・ピアノやニューオリンズ・ジャズなどのクラシック・ジャズをカタログに並べていた。ところが1940年代になると、ジャズはビバップと呼ばれるモダン・ジャズの時代を迎える。その路線にブルーノートは他のレーベルより一歩遅れて参入したものの、そこからの快進撃には目をみはらされるものがあった。無名のセロニアス・モンクに最初からリーダー録音を行わせたことも、このレーベルの大きな実績になっている。売れ行きは芳しいものでなかったが、それを継続させたことで彼の重要な吹き込みが数多く残せたからだ。
 ブルーノートには、モンクと同じ様にやがてジャズの世界でスターになるアーティストの初リーダー録音が極めて多い。アート・ブレイキークリフォード・ブラウンホレス・シルヴァールー・ドナルドソンジミー・スミスハンク・モブレーリー・モーガンソニー・クラークなど、枚挙にいとまがないほどだ。
 理由は、ライオンが熱狂的なジャズ・ファンだったからに他ならない。夜な夜なジャズ・クラブに通い、自分の気に入ったアーティストに声をかけてはレコーディングを繰り返したのである。個人で運営しているから予算は潤沢でない。そこで無名のアーティストのレコーディングに精を出す。それらのいくつもがやがて名盤と呼ばれるようになり、多くのアーティストがジャズの世界を代表する存在に育っていく。それは、ひとえに彼が優れた耳と見識を持っていたからだ。
 ライオンは1966年にブルーノートの株をリバティ・レコーズに売却している。その後も同社の重役としてプロデュース業を続けたものの、一年後には体調を崩し、音楽業界から引退している。しかし以後もブルーノートの創業精神は守られ、現在までトップ・レーベルとしてジャズの世界に君臨してきた。
 ブルーノートの創業精神――それはジャズの最も新しい姿を記録に残すことである。ライオンはこれぞと思ったアーティストには、その作品が売れようが売れまいが、本人が希望するならいつでもレコーディングすることを厭わなかった。それが世界一のジャズ・レーベルに育て上げた原動力だ。
「わたしにとって、レコーディングはパーティのようなものだった。スタジオに集り、食事やお酒を楽しみながら雰囲気を盛り上げる。そうなると、ミュージシャンは決まって素晴らしい演奏をしてくれた。彼らが楽しい気分で演奏してくれて、喜んで帰っていく姿を見るのが何より好きだった」(ライオン)
 そんな思いでレコーディングをしていたプロデューサーはどこにもいない。誰よりジャズが好きでミュージシャンを愛していたからこそ、こういうことが出来たのだ。世界一のジャズ・ファンが作った世界一のジャズ・レーベル――こう呼べるのはブルーノート以外にありえない。

独自の音楽的感性と強い信念を持つドイツ人が創ったヨーロッパ発のレーベル「ECM

 マンフレッド・アイヒャーがミュンヘンで設立したECM(Edition of Contemporary Music)は、透明感に溢れた特徴的なサウンドで高い人気を誇っている。とりわけキース・ジャレットを迎えてからは、次々と発表される作品が常に高い評判を得た事で、ECM自体も人気と信頼性を絶大なものにしてきた。無名時代からパット・メセニーの作品を制作していたこともこのレーベルの評価に繋がっている。いかにもヨーロッパ的なフリー・ジャズやクラシカルな響きを伴う作品、あるいはエスニック風味の音楽などによって、熱烈なファンが多いこともECMの特徴だ。
 創立者のアイヒャーは1943年7月9日、旧西ドイツ南部のリンドで生まれた。地元の音楽院でベースを学んだ彼がECMを設立したのは1969年のことである。それ以前はベース奏者として活躍していたといい、相当な腕前だったようだ。
 次いで、EMIヨーロッパ、フィリップス、MPSといったレコード会社でプロデューサーとなり、クラシックとジャズの作品を制作している。こうしたキャリアを通し、自分が理想とする音楽を追求するべく立ち上げたのがECMだ。
 ECMはレーベル名のとおり、設立されてからこれまでの40年近くに渡り、常に時代の先端を行く音楽を記録してきた。これまでに1000枚以上のアルバムをリリースしてきたが、1枚たりともコマーシャルな作品はない。そのことは、ファンなら先刻ご承知だろう。無名ながら優れたヨーロッパのアーティストを次々と紹介してくれているのもアイヒャーの強い信念に基づいている。
「純粋で簡潔な音楽やミュージシャンに惹かれる。“簡潔”は単純という意味ではなく、素朴といってもいい。新人との出会いは殆どが偶然だ。例えばアルボ・ベルト(「ECMニュー・シリーズ」開始のきっかけを作ったアーティスト)の場合は、カー・ラジオで聴いた彼の演奏に感銘し、何者かを調べようとしていたところ、エストニアからデモ・テープが届けられた。また、設立当初は、ヤン・ガルバレクチック・コリアなど旧知のミュージシャンの紹介で、あっという間に素晴らしいアーティストたちが集ってきた」(アイヒャー)
 ECMのカタログを彩る顔ぶれは多彩だ。私達はこのレーベルを通し、未知の素晴らしいアーティストや音楽に触れてきた。「ECM」とジャケットに印刷されていれば内容は保障されたも同然だ。レーベル特有の音楽性やサウンド(音質も含めて)が気に入っている人なら、どの作品を聴いても大きく失望する事はめったにない。そういう点で、ECMはブランドである。
 特筆したいのは、どの作品をとってもカッティング・エッジな内容であることだ。例えば、ジャズ・ファン以外の人達からも支持されているキース・ジャレットの諸作を考えてみればいい。イージーな演奏などひとつもない。ソロ・ピアノにしても、評判のトリオにしても、内容はかなり高度だし難しい。それでもECMの作品が多くのひとから愛されてきたのは、どんな時でもアイヒャーが誠実にジャズの最先端を紹介してきたからだ。
 クォリティの高いジャケット・デザインと並び、ECMの人気を支えているもうひとつの大きな要素が透明感に溢れた音質である。アイヒャーはレコーディング・エンジニアとして活躍していた経歴も持っている。そして、こちらは同業のヤン・エリック・コングショウの貢献を抜きには語れない。アイヒャーもエンジニアとして優れているが、ECMの根幹を成すサウンドは彼とコングショウとで作り上げたものだ。アイヒャーが理想とする音――それは従来のジャズ・サウンドとは全く違う。
 ブルーノートで代表されるジャズのサウンドは、低音に厚みを加える事でエネルギーに溢れた響きを特徴としたものだ。ところがECMは、いってみればそうしたジャズの常識的なサウンドを根本から覆している。低音ではなく、高音の美しさや伸びを強調することで、このレーベルは格調高いサウンドの獲得を目指したのである。荘厳な響きとでもいえばいいだろうか。教会で聴く音楽のように澄みきったサウンドは、「透明感に溢れた音色」
と形容されることが多い。
 そのサウンドをアイヒャーと組んで作りあげたコングショウはこれまでに1000枚以上のレコーディングを手掛けている。中でも700枚は下らないというECMの録音は、その名声を燦然と輝かすものになった。キース・ジャレットジョン・アバークロンビーポール・ブレイ、ミロスラフ・ヴィトゥス、ラルフ・タウナーチャーリー・ヘイデンゲイリー・ピーコック、チャールス・ロイド、スティーブ・キューン、ヤン・ガルバレク、ビル・フリーゼル、チック・コリア――これは彼がこのレーベルで手がけたアーティストの一部だ。
 ECMは、ジャズ、そしてそこから派生した新しい音楽、さらには前向きで創造的なクラシックや現代音楽までを包括する大レーベルに育った。しかも発足当時からのアーティストの多くを今も大切に育てている。こんなレーベルはふたつとして存在しない。それは、頑固たる信念を持ったアイヒャーが、いまも個人レーベルとして100パーセント自分の思いをこのレーベルに託しているからだ。

音楽のタイプは全く違う2レーベルだが、驚くほどの共通点を持つ

 ドイツ生まれの二人のジャズ・ファンが設立したレーベル。それがブルーノートECMだ。時代も違えば、カタログに並ぶ音楽のスタイルやタイプも全く違う。しかし、どちらもその時代の最先端に位置するジャズを記録する事に心血を注いできた。
 ライオンがブルーノートを去ったのは1967年の事である。そしてそれから2年後にECMが誕生した。まるでライオンの思いを引き継ぐように、アイヒャーは彼と同じ考えを、そのレーベルを通して実践してきた。すなわち、演奏はもとよりサウンドからジャケットに至るまで強いこだわりを示していることだ。
 透明感に溢れたサウンドは“ECMサウンド”と呼ばれるほど特徴的だ。ブルーノートも独特のサウンドによってレーベルのイメージを確立している。こちらは名匠ルディ・ヴァン・ゲルダーが多くの作品でエンジニアを務め、以後のジャズ・レコーディングのスタンダードとなる音を作り上げた。“ヴァン・ゲルダー・サウンド”あるいは“ブルーノートサウンド”と呼ばれる音がモダン・ジャズの魅力を見事に伝えている。また、フランシス・ウルフが写真と共に、リード・マイルスが手がけたジャケット・デザインで人気が高い。
 ECMでは“ヨーロッパのヴァン・ゲルダー”と呼ばれるコングショウを主任エンジニアにして、ブルーノートとは全く違うが、これまた誰が聴いてもECMの音と解る独特のサウンドを育んできた。
 ジャズはアメリカで誕生した音楽である。しかし、ライオンとアイヒャーという二人のドイツ人によって新しい歴史が作られ、そこから次なる動きに広がっていった。極論を言わせて貰うなら、モダン・ジャズはブルーノートに残された諸作を聴くだけでいいし、それ以降の音楽はECMのカタログに耳を傾ければ事足りる。
 二人の熱狂的なジャズ・ファンが設立したこれらのレーベルに、ジャズのあらゆる魅力が盛り込まれている。ライオンが去った後のブルーノートは創業精神を受け継いだ後輩達によって今も世界一のジャズ・レーベルの地位を守っているし、アイヒャーは相変わらずECMで最先端のジャズをクリエイトしている。これら二つの素晴らしいレーベルから送り出される作品が享受できるジャズ・ファンとは、なんと幸せな人種なのだろう。

【私の選ぶブルーノート5選】
バードランドの夜 Vol.1&2/アート・ブレイキー

 ハード・バップの萌芽を記録したライブ。ブレイキーをリーダーに、やがてジャズの世界を背負って立つ若手オールスターズによる演奏はフレッシュな響きの中にも強い勢いを感じさせる。ハード・バップ特有の躍動感に溢れた演奏が小気味のいい歴史的名盤。
ブルートレインジョン・コルトレーン

 コルトレーンブルーノートに残した唯一のリーダー作。ここでは3管のアンサンブルを率いて、スリリングな展開の中にも寛いだ雰囲気の演奏を繰り広げる。ブルーノートならではのハード・バップ・サウンドが、とりわけ表題曲の演奏に色濃く反映されている。
クール・ストラッティン/ソニー・クラーク

 クラークはアメリカより日本での人気が高い。それを決定的なものにしたのがこの作品。《後ろ髪を引かれる》と形容される強力なバック・ビートが独特のブルージーな響きを醸し出す。それがファンキーこの上ない演奏を一層魅力的なものにしてみせる。ジャズ喫茶における永遠の人気最上位盤。
サムシン・エルス/キャノンボール・アダレイ

 ブルーノートに限らず、全てのジャズ・アルバムの中で最も高い人気を誇っている永遠の“超”ベストセラー。とりわけマイルス・デイヴィスがリーダー然とテーマ・メロディから素晴らしいソロまで吹く「枯葉」が見事。この曲が高い人気の理由である。
モーニン/アート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズ

 メッセンジャーズがブレイクするきっかけとなった作品。ベニー・ゴルソン音楽監督に迎えて発表したファンキー・ジャズをテーマにしたアルバムで、大ヒットしたタイトル曲をはじめ「ブルース・マーチ」「アロング・ケイム・べティ」など名曲がずらりと並ぶ。

【私の選ぶECM5選】
フェイシング・ユー/キース・ジャレット

 キースが世界的に注目を集めるきっかけになった作品。トリオで演奏する時もそうだが、彼の音楽には、ジャズ、ブルース、ゴスペル、フォーク、エスニック等、様々な要素が混在している。それらがひとつの流れの中で自在に組み合わさる面白さは格別。
リターン・トゥ・フォーエヴァーチック・コリア

 “カモメのチック”と呼ばれるこの作品には、コマーシャルな側面を持ち合わせながら、音楽的には近未来を予言した創造的な内容が盛り込まれている。現代にも通じる斬新なリズム感覚とラテン風エスニック・ムードの横溢した独特のフィーリングが印象的。
ヌー・ハイ/ケニー・ホイーラー

 いかにもECMらしい透明感に溢れたホイラーのフリューゲルホーンが美しい。思索的で牧歌的。その彼に絡むキース・ジャレットのピアノにも格別の味わいがある。リリシズムに溢れた演奏は二人が最も得意とするところ。こんな共演もECMならでは。
オフランプ/パット・メセニー

 メセニーもECMに育てられたひとりだ。シンセ・ギターを大胆に駆使したサウンドは躍動的で挑発的。それでいていかにもECMらしい美しい響きに貫かれている。日本ではコマーシャルにも使われた「ついておいで」が評判になったが、全曲が名曲の充実作。
ライヴ!/カーラ・プレイ

 フリー・ジャズの世界で“才女”と呼ばれていたカーラがなんともポップでカラフルな演奏を繰り広げる。小型オーケストラから紡ぎ出されるサウンドはリズミックで親しみやすい。それでいてフリー・ジャズの要素も忘れていない。そこが才女の才女たるゆえんだ。