「音楽は個人的な好み」のウソ

ジャズに限らず、音楽は個人的な好みの問題であり、ある人にとっては感動的な演奏でも、ある人には全く響かないという事がしばしばある。確かに音楽の好みというものは、人によって様々ではあるのだろう。
 だがその一方では、確かに全てが個人的な好悪だけで判断されるべきものだろうかとの疑問もある。いちがいに好みといっても、そこには聴き手それぞれの「耳のレベル」があり、多くの場合、そのレベルに対して無自覚のまま、単にその時の気分で判断しているにすぎないように映らないではない。そして、その音楽の本質を聴き取る事が出来ない時、人はその音楽に「嫌い」というレッテルを貼るのではないか。つまり自分の耳や感性のレベルを省みることなく、「自分の都合」に合わせて音楽を聴く、のみならず「良い・悪い」を判断する、それを表すために「音楽は個人的な好み」という便利なフレーズが使われているように思える。
 音楽には、明らかにレベルの違いがある。「格」と言い換えても良いだろう。そして聴き手の耳にもレベルは差は歴然としてある。よって音楽に対する好悪とは、音楽そのものを度外視した、まさに個人的な耳のレベルの程度を反映させたものでしかないとも言える。それは、いうまでもなく音楽に対する評価ではなく、自分の耳に対する評価に他ならない。
 名盤が証明しているものは、「音楽は個人的な好み」ではないという厳然とした事実だろう。