聴き手の総意が名盤を生む

確かに音楽は個人的な好みが反映されるものかもしれない。だがその「好み」というものは、「耳のレベル」に起因するものであり、よってその音楽とは全く無関係の個人的な問題、つまりは「理解できない」を「嫌い」という言葉に置き換えているに過ぎないとも言える。
 音楽に限らず、評価というものは、人によってさほど大きく変わるものではないだろう。そしてその“評価”の中には、実は“好み”も含まれる。多くの人が評価し、多くの人が好むものは、他の人にとっても同様である確立は高い。味覚や審美眼についても同じ事が言えるだろう。あるいはこう言った方が良いかも知れない。好悪とは、ある一定のレベルに達した時、初めて説得力を持つものであり、それ以前の段階における好悪は、仮に「好き」であったとしても一過性のものに終る可能性が強い。そもそも人の「好き」や「嫌い」程アテにならないものはないとも言える。
 さて、ここにジャズの名盤がある。名盤といっても様々なものがあり、いわゆる歴史的名盤、そのミュージシャンの代表作、ロングセラーやジャズ喫茶の人気盤、さらには「一家に一枚盤」と多岐にわたる。
 これらのアルバムは、どのようにして名盤になりえたのか。具体例を挙げれば、ソニー・ロリンズの『サキソフォン・コロッサス』は何故僅か1ヶ月前に吹き込まれた『テナー・マッドネス』より「名盤」として上位に置かれるのか。演奏の優劣によるものだろうか。それは有り得ない。マスコミに出来る事はあくまでも紹介や提案であり、いくら喧伝したところで、支持されないものは支持されない。
 つまるところ、そのアルバムを「名盤」として認知、格付けし、歴史に残すのは、一人一人の聴き手に他ならない。そして聴き手の総意として選ばれたものが名盤であり、語り継がれ、聴き継がれていくことになる。