ジャズとはどんな音楽?

ジャズってどんな音楽なんだろう?ちょっと気取っていて、大人の聴く音楽?なんだか難しそう!いや、今私達が聴いているロックやポップスのミュージシャン達も、ジャズマンから随分影響を受けているらしい。あのスティングだって、ジャズマンと共演しているんだ。へぇ、うちのおじいちゃんは昔ジャズを聴いていたって言うけれど、それって同じものなの・・・?
 ジャズに興味を持っている人は大勢いる。だけど、なんとなく取っ付き難いのは、ジャズの正体がよくつかめないからだ。そこで思い切って、ジャズはどういう音楽なのか?という疑問に最初に答えてしまおう。

「ジャズは、それぞれが個性的なミュージシャンたちの、“演奏”を聴く音楽である」
 なんだって、それじゃあんまり当たり前すぎるじゃないかって?確かに「演奏を聴く」なんて言われても、音楽ファンにとっては当然のように思えるけど、枝葉をはしょって突き詰めてしまえば、これはかなりジャズの本質に迫った鋭い答えだし、他のジャンルの音楽は、実は必ずしもこの言い方には収まり切らない要素を少しずつ含んでいる。例えば、ジャズと同じように熱心なファンに支えられているクラシック音楽は、バッハやベートーベン、モーツァルトといった昔の作曲家たちの作品を、カラヤンとかグールドといった現代の演奏家達の手によって再現されたものを聴くことが一般的なので、演奏を聴くことは、同時に作曲された作品を聴くことでもある。
 別の言い方をすれば、クラシック音楽の演奏は過去の作品の解釈、再現でもあり、ちょっと図式的な理解ではあるけれど、紙に書かれた楽譜を実際の音として人に聴かせる、目的のための手段、といった側面もある。つまりクラシック音楽では、どんなに個性的な演奏をしたとしても、「演奏者だけが音楽の主人公ではない」というところが、ジャズとは大きく異なっている。
 また常日頃お馴染のポップスや歌謡曲は、親しみやすい、あるいは心に染み渡るメロディの美しさが音楽の魅力になっていることが多く、お気に入りのミュージシャンが歌い、あるいは演奏する好みの楽曲を聴くというのが普通の楽しみ方だろう。特にTV時代のアイドル達は、単に歌の上手い下手ではなく、ダンスの振り付け、姿形、果ては食べ物の好みのような私生活までも含めた総合的な訴求力が求められ、ラジオしかメディアのなかった頃のように純粋な歌唱力だけで勝負できるという訳では無くなっているのが実情だろう。
 要約すれば、ポピュラー・ミュージックの世界では、演奏能力や歌唱力に加え、人々にアピールする曲想、歌詞の力が、とりわけ現代では、アーティストの人的魅力が備わっていなければ、ファンに対して通用しないところを思い出してもらいたい。
 それらに対してジャズは、多くの人たちが誤解しているように「曲」を聴かせることだけが演奏の目的ではない。またその演奏している曲目にしても、メロディがよく解らない(この部分を「アドリブ」という)ものを延々と吹きまくるばかりで、一体何をどう聴いていいやら見当も付かない、というのが一般の印象ではないだろうか。
 ところが、この何をやっているのかよく解らない「演奏」部分こそが、ジャズの本質とも言うべき肝であり、聴きどころなのだ。だから多くのジャズマン達は、いかに人と違ったやり方で、この「演奏」をカッコよく仕立て上げるかに、それこそ全身全霊を傾けているのである。
 実はジャズに親しもうと思って入り損なってしまう人たちの大半が、クラシック音楽や、ポピュラー音楽の常識をジャズにも当てはめてしまうところに問題がある。つまり、これは止むを得ない事とはいえ、どうしても入門者は「曲」や「メロディ」にこだわってしまうのだ。
 ジャズマンは「曲」を演奏しているのではなく、単に「演奏」を聴かせている。なんだか禅問答のようだけれど、ここは大切なところなのできちんと順を追って説明したい。
 勿論ジャズマンだって『枯葉』や『チュニジアの夜』といった曲を演奏するのだけれど、その時の解釈の仕方が、クラシックの演奏家やポピュラー・ミュージシャンとは大きく異なっているのだ。そしてこれこそが、ジャズと他の音楽ジャンルを区別する重要なポイントなのである。
 最初に書いた様に、クラシックの演奏家は、自分なりに他人とは違った個性を発揮すべく努力はするだろうが、もしその演奏が著しく作曲家の意図したであろう作品の本質からズレていると聴き手に判断されれば、それはやはりバツでしょう。例えば、バッハの荘厳な宗教曲を、いかに独創的であれ、派手に軽々しく演奏したとすれば、これは認められそうもない。
 またポピュラー・ミュージシャンは、自分の持ち味をアピールするにしても、同時に、ヒットした曲であればあるほどに、人々が求めるその曲のイメージを守ろうとするだろう。どちらにせよ、やはり「曲」は大切なのだ。
 ところが、である。優れたジャズマンの多くは、曲目自体は自分の個性的な演奏を聴かせるための手段、素材に過ぎないと考えている。彼らは作曲者の意図などには、さほど縛られていない。クラシック音楽では譜面に書かれた音符から、たった半音ズレただけでもそれは「間違い」なのだが、ジャズマンは平気で元の曲の音符の長さを変え、音程を外し、果ては全く違うメロディに組み替えて平然としている。
 ジャズの本質とまで言われる「アドリブ」には、いかに元の曲のメロディを変換するかというゲームのような要素があり、また、「フリー・ジャズ」の一部には音楽の常識であるメロディを破壊することを目的にしているような演奏すらある。
 では、一体、ジャズマンは「曲」を何の素材と考えているのだろう。
「演奏」である。
 個性的な演奏である。つまりジャズマンはそれぞれがとびきりの個性の持ち主であって、そのオリジナリティを証明するために、「自分だけの演奏」を心がけ、そのための素材として、様々な曲を利用するのだ。
 だからジャズを聴く時に、ポピュラー・ミュージックを聴く時の様に曲を聴こうとすると、おなじみのメロディはなかなか出てこないし、出てきても変に音がズレていたりと、どうにも落ち着きが悪くて、聴きどころがつかめず、最後は何が何だか解らなくなって、ジャズは難しい、ということになってしまいがちなのである。
 しかし、それはあなたの「ジャズの聴き方」が間違っている、というところに気がついてほしい。あなたは、最初から、ジャズマンが聴いてほしいと思っているものではないものを求めているから、裏切られた、解らないと思ってしまうのです。