名盤、あなどるなかれ。名盤の威力、健在なり

名盤は、それが有名なものであればあるほど、ついつい油断をしてしまうと言うのだろうか、「聴いた気」や「知っているつもり」になってしまい、肝心のところを聴き逃している事が少なくない。なまじ長く聴いていると慢心も芽生え、名盤を聴くことに対して、一種の気恥ずかしさのようなものもある。
ところがどうだろう、いざ改めて聴いたら最後、今更『サキソフォン・コロッサス』や『クール・ストラッテン』でもないだろうと思っていたさっきまでの自分はどこへやら、ひたすらその圧倒的な演奏に打たれ、釘付けになる。
名盤、あなどるなかれ。名盤の威力、健在なり。いやそれどころか名盤は時代が経過するにつれて益々輝きを増し、それは何百枚もの新作が束になってかかってきてもビクともしない威厳と風格を漂わせ、屹立している。そして不思議な事に、あるいは当然の事にと言うべきかも知れない、それら何百、何千とある新作より名盤の方が遥かに新しい。生まれたばかりの新作と“歴史的”と名の付く名盤、にも拘らず新作が古く、歴史的名盤が新しいというのは、どういう事だろう。
今回、FM放送でジャズを紹介する番組を頂き、制作する上において名盤を改めて聴いて実感したのは、名盤の「底力」であり、それは褪色するどころか、以前に聴いた時よりも更に新鮮な響きとなって迫ってきた。同時に、いかに多くを聴き逃がしていたかも痛感させられた。
謎が解明されないまま謎として残ったものもある。ジョン・コルトレーンは、何故『至上の愛』で不自然とも思えるオーバーダビングを行い、その音を消さなかったのだろう?チャーリー・パーカーの『ジャズ・アット・マッセイ・ホール』の3曲目でピアノを弾いているのがバド・パウエルでないとしたら、果たして誰なのだろう?
名盤を聴くという事は、感動を新たにすると同時に新たな発見に出会う事でもあり、そうした聴き方や楽しみ方に無限に応えてくれるのが名盤でもある。今回、マイルス・ディヴィスに吹かれ、アート・ブレイキーに叩かれ、オーネット・コールマンに押し流されながら、そう確信した。

“Forget about the changes in key and just play within the range of the idea”
Charlie Parker
“We just play Black,we play what the day recommends”
Miles Davis