ライブ・アルバムで解ったジャズの魅力

「ジャズってなんてすごいんだろう」と実感したのは、ジャズの歴史を変えた歴史的名盤と言われるアルバムではなく、歴史的でも世評高い名盤でもないかも知れない、たまたま耳にしたジャッキ・バイアード(p)の『カルテット・ライブ!』というライブ・アルバムだった。
マイルス・ディヴィスの凄さは、ジャズ評論家が薦める『クールの誕生』を10回聴くよりも『フォー・アンド・モア』の1曲目の途中で解った。

ジョン・コルトレーンが「凄い」という事が即座に理解できたのも、『至上の愛』ではなく『セルフレスネス』に入っている《マイ・フェイバレット・シングス》のライブ・ヴァージョンを聴いた瞬間だった。

ジャズの本に出てくる“ホット”や“スウィンギー”、“ハード・ドライヴィング”といったフレーズを身体で実感できたのもライブ・アルバムを聴いた時だった。
ルイ・アームストロングのような古い世代のジャズやミュージシャンには興味が無く、聴く必然性も感じていなかったが、偶然にもラジオで耳にした『タウン・ホール・コンサート』というライブ・アルバムは、時空を越えて胸に突き刺さってきた。
それまで聴いていたチャーリー・パーカーの演奏は、何れも短く、「どこが“即興の神様”なんだろう」と首をひねらざるをえないものだったが、ある日ジャズ喫茶で聴いた、タイトルもジャケットもあってないようなブートレグ海賊版)とおぼしきライブ・アルバムから飛び出してきたパーカーは、延々と長いソロを吹き、確かにそこには“即興の神様”がいた。
普段は馴染みの薄いビッグ・バンドもライブ・アルバムとなると楽しく、親しく聴く事が出来た。バディ・リッチ、ドン・エリス、オリヴァー・ネルソンは、ライブ・アルバム派にとってはデューク・エリントンカウント・ベイシー、スタン・ケントンといった偉人よりも遥かに偉い存在だった。
直球勝負。ただただ吹き、ただただ叩き、鳴らし、歌い、駆け巡り、駆け抜け、そして迎える大団円という一般的に最も多いジャズのライブ・アルバムのパターンは、それがシンプルであるが故にジャズの凄さや魅力がストレートに反映され、そのパワーは不滅の輝きを放っている。