ブラインドとは、「スタイルではなく、人で聴く」というジャズの楽しみの王道そのもの!

 ジャズを聴き始めた頃、一番驚いたのは友人が曲名も定かでないグチョグチョのソロ部分で、「あ、コルトレーンだ」と言った事だった。今になれば、これがアルバムを見ないで演奏者を当てる「ブラインド」の、最も簡単な例だという事が解るけど、当時はその一事で彼を見る目がコロッと変わってしまった。
 ブラインドはジャズ・バーで連れの女性を驚かせる効果だけでなく、ジャズの楽しみの基本にも適っている事に気づいたのは、随分後になってからだった。仕事柄ブラインドの挑戦はよく受けた。好きでよく聞き込んでいたミュージシャンは当たったがそれ以外は当たらない。悔しいのでめぼしいミュージシャンの特徴をじっくりと探る。すると、それまでさして好きでもなかったミュージシャンを見る目、聴く耳が違ってくる。
 例えばチャーリー・ラウズ。歴代モンク・カルテットの中ではコルトレーンやグリフィンと比べられ、どうしても相対評価は低い。しかしこの人には、同じ所を堂々巡りするような、かなり特徴的なフレーズが幾つかある。勿論コルトレーンの様なキレはないが、明らかに個性と言える。
 それが解ってくると、B級ハード・バップのサイドに彼が出てくるだけで、ニヤリ、頬が緩むようになる。勿論それだけの事だが、それまで聴き逃していた“ラウズらしさ”に気が付いた効果は歴然だ。同じアルバムなのに面白さがグッと上がってくる。
 もう少し、具体的になると、ソックリさんオンパレードのパウエル派。彼らは、ジャズ初心者にはおそらく区別がつかないと思う。それがブラインド的聴き方をすると、バリー・ハリスソニー・クラークケニー・ドリューといった連中の、微妙な差異が好みの判断材料となる様になる。
 スタイルという枠組みではみな同じ“パウエル派”の中で、各々が洒脱さを表現したり、タッチの重さで勝負したり、あるいは華麗なフレーズの切れ味で見せ場を作ったりと、明らかに他人と違った顔を見せている事が識別出来る様になれば、どの人が好きとハッキリ言える様になる。
 これが「スタイルでなく、人で聴く」ジャズの楽しみ方の王道にかなっている事に気が付いたのは最近の事で、今迄マニアのお遊びと思っていたブラインドを、積極的に私の講義の受講者にも薦めている。
 突き詰めてしまえば、ジャズは何回も時間をかけて聴いているうちに自然と面白くなってくるものだが、それは実際体験してみないと納得出来ない性質のものだ。そこで私は、騙し騙ししてアルバムを繰り返し聴く事を薦めているのだが、ブラインドはそこの所がゲーム感覚でクリアーできる。
 勿論マニアックになる必要もなく、限られた好みやジャンルのミュージシャンの個性が識別出来るようになれば充分だと思う。