ジャズの“すごさ”を教えてくれたのはライブ・アルバムだった

ずっと長い間、ライブ・アルバムが不憫でならなかった。
誰もが「ジャズはライブが一番!」と言う。ジャズという音楽の特性を考えた場合、確かにその通りかも知れないとは思う。だが、その“一番”であるはずのライブを収録したライブ・アルバムが軽く扱われているのはどう言う訳か。
これが解せない。不憫に思うのである。
錯覚かも知れないが、ライブ・アルバムは、スタジオでレコーディングされたアルバムより“下”に置かれているように見える。中には同等若しくは上位に置かれているライブ・アルバムもあるが、その多くは“ライブ・アルバム”と言う事だけで、中流から下流にかけて集中的に置かれ、なかんずくジャズ・ファンの意識下においては、「だってライブ・アルバムだから」とばかり、ほぼ例外なくスタジオ・レコーディングより“下”にみる傾向があるように思う。
スタジオにおけるレコーディングは「作品」、ライブ・レコーディングは「記録」あるいは「日常」という偏見が、その根底にあるような気がする。さらにジャズ・ファンのアカデミックなものに対する憧れを考えるに、ライブ・アルバムは、あまりにもストレートすぎるのかも知れない。つまり、そこには音楽的な要素以外に知的好奇心を満たしてくれる要素が殆ど無い。
それはライブ・アルバムに対して、あまりに薄情というものだろう。自分がジャズ初心者だった頃を振り返ってみよう。ジャズの右も左も解らない頃、ジャズについて多くのことを身をもって教えてくれたのは、ライブ・アルバムではなかっただろうか。