新しいジャズの歴史へ

 アメリカが生み出した独自の音楽“ジャズ”は19世紀の末に、北米大陸の南部、とりわけニューオリンズを中心にした地域で誕生したというのが、定説になっている。ただ、1917年まで、ジャズのレコードは1枚も録音されていないので、いつどこで、誰が創造したかについては正確な資料は残っていない。ただし、いくつかのバンド、何人かのプレイヤーがほとんど同時に、今日ジャズと呼ばれる音楽にごく近い演奏を行っていた事は確かだろう。
 このジャズの誕生には、1619年以降に北米大陸に奴隷として連れて来られた黒人のフィーリング、音感、リズム感、人間性が深く関わっている事は確かだが、アフリカから黒人の音楽がそのままジャズに発展した訳ではなく、ヨーロッパ各地からアメリカに移住してきた多彩な民族が持ち込んだ西洋音楽や各国の民族音楽等が、融け合い、ぶつかり合って生まれた音楽である。従って、ジャズはある特定の人種の民族音楽でもなければ民俗音楽でもなく、生まれた時からフュージョン・ミュージックであった。
 ジャズ誕生への道を開く下地の音楽となったのは、19世紀以前のアメリカ民謡や作曲、黒人霊歌、ワーク・ソング等だが、ジャズの前進とも言うべき重要な音楽には、ミンストレル、アフリカの黒人音楽、ブルース、ラグタイム、ブラス・バンドが挙げられる。特に南北戦争以降の1890年代の黒人ブラス・バンド、ニューオリンズのダンス・ホール等で演奏されていたストリングス入りのダンサブルなラグ・タイム・オーケストラ等は、ジャズにごく近い演奏を行っていたものと思われる。19世紀末の初代ジャズ王バディ・ボールデン(cor)のバンドは、バンク・ジョンソンらの証言によると、既にジャズと呼ぶべき即興演奏を行っていた様だ。
 ニューオリンズでは、フランス人と黒人の混血によるクレオールの中にもジャズを演奏した人達が沢山いて、ジェリー・ロール・モートンシドニー・ぺシュ等はその代表的存在。クレオールは黒人よりも早く一時的に自由を獲得し、彼らの中には高い音楽教育を受けたミュージシャンも少なくなく、西洋音楽と同じ楽譜を読むプレイヤーも増えていった。ジャズは、世界の広範囲における共通語とも言うべき、西洋音楽の楽譜を用いる様になった事で、一気に世界に広まっていったと言える。
 こうしてクレオールや白人が大きく関わり、発展していったジャズは、20年代以降、シカゴやニューヨークで盛んに演奏されるようになると、白人の中でも特に優れた資質を持っていたユダヤ人がジャズに興味を持ち初める。彼らは積極的にジャズやポピュラー音楽に参加するようになった。20年代から活躍したポール・ホワイトマン、アル・ジョンソン等を初め、所謂ティン・パン・アレーで、楽譜を売る事が出来る様になったポピュラー・ミュージックやミュージカルの作詞・作曲家達はその殆どがユダヤ人であった。ジェローム・カーンアーヴィング・バーリン、ジョージ・ガーシュインリチャード・ロジャース、ハロルド・アーレン、ハリー・ウォーレン、ヴァーノン・デューク、そして今日のサイ・コールマン、スティーブン・ソンドハイム、ジェリー・ハーマン等がそうであり、例外的な大物作曲家はコール・ポーター等少数しかいない。そして、このユダヤ人達が作った曲であるスタンダード・ナンバーが今日なおジャズの大きな素材となっている。約10年程前、JVCジャズ祭ニューヨークで、このジャズ祭のユダヤ人プロデューサー、ジョージ・ウィンは“ジャズにおける黒人とユダヤ人の共闘”と言う興味深いプログラムを設けていた。
 ジャズ史に於いて特筆されるべき事は、差別されてきた黒人ジャズメンと、やはり迫害、差別されてきたユダヤ人が共に闘って、ジャズを育て、発展させてきたと言う点だろう。

 スウィング王と呼ばれたユダヤ人のベニー・グッドマンは、ステージの上で初めて白人と黒人の共演を実現させたし、同じユダヤ人のクラリネット奏者アーティ・ショウも短期間だが、黒人ビリー・ホリデイを専属歌手に迎え入れた。アメリカのジャズ界では白人でジャズを演奏している人達には、ユダヤ系とイタリア系が多く、ユダヤ系の名手には、ウディ・ハーマンスタン・ゲッツギル・エヴァンス、ハリー・ジェイムス、ハービー・マン、シェリー・マン等がいて、イタリア系にはジョー・ヴェヌーティ、ヴィド・ムッソ、バディ・デフランコトニー・スコットアート・ペッパー、ジョー・ロヴァーノ等がいるが、所謂WASP系はグレン・ミラー等以外に少ない。ビング・クロスビーフィル・ウッズジェリー・マリガン等はアイリッシュ系である。しかし、今日ジャズは世界の多くの国、多くの民族によって好まれ、演奏されていて、西洋音楽の浸透している国程ジャズが栄えている。日本もその例に漏れない。余りにも民族音楽の強い国にはジャズが浸透しにくい傾向があるが・・・
 ジャズ演奏は黒人達の心と精神を解放する役目を果たしていた様に思える。ジャズ同様黒人達が歌い演奏するブルースが、多くは一人で、個人の悩みや悲しみを歌ったものであったのに対し、ジャズの多くは複数で、魂や心を一つにして、自分達への差別や偏見に対する怒りや反発を楽器に込めて演奏した面があった。そしてアドリブの中に、実生活では得られない自由を思う存分に発揮、展開していた様に感じられる。
 白人の歓楽街だった初期のハーレムでは道化の姿を見せたり、白人に媚びたりしている様に思えるジャズや黒人芸能もあったが、その表面的な姿勢の裏で、黒人特有の遊びや嗜好を隠し味として展開していて、黒人達はふざける事で自由を満喫し、自ら十分に楽しんでいたのではないだろうか。又黒人は自分達が考え出したスラングやジャイブ語によって、白人に抵抗したり反発したりしていた。黒人は白人とは逆の意味を込めて言葉を使った。白人が使うGoodはBadの意味であり、白人が使うBadは黒人にとってはGoodになる。これは、奴隷時代、白人と黒人とは利害が全く逆だった事から来ているのではないだろうか。いくら働いても個人的な利益を得られなかった時代の黒人にとって、働く事はむしろ悪であり、サボる事こそ善であった。従って、今日でもLazyとかLooseとか、力をぬいたり、サボるといった意味の言葉は黒人英語では全て素晴らしいという意味に使われる。黒人のジャズもかつては、ルーズでレイジーであり、それが他の音楽にない魅力であり、ジャズの特質だった。
 しかし、黒人の地位も昔に比べると上がって来ている。かつては、黒人に対する差別や偏見への怒りや反逆が黒人ジャズのアイデンティティになっていたのだが、黒人の地位の向上が、逆に黒人ジャズのアイデンティティを弱めているところがあり、それが今日の黒人のジャズの悩みともなっている。
 新時代の旗手ウィントン・マルサリスは誰よりもこの危機を敏感に感じ取り、かつてのジャズの巨人達のエネルギーを吸収し、ジャズの伝統を継承し、復活させる事でジャズのパワーを再獲得しようと試みている様だ。

 今日、彼がリンカーン・センター・オーケストラを率いて、盛んにルイ・アームストロングジェリー・ロール・モートンデューク・エリントンといった過去の巨人達の曲を演奏しているのは、そのためと言えよう。彼が作曲演奏した黒人史、ジャズ史を綴った大作『ブラッド・オン・フィールズ』(CSB)はピューリッツァー賞を受賞した。これによって、ジャズがさらに社会的に正当に認識される時代が来た事は明らかになったが、ジャズにおける業績から言えば50年程前にデューク・エリントンこそ最先に受賞すべきだったと言える。エリントンの音楽には、ジャズの過去、現在、未来の全てがあると言っても過言ではない。それで慌ててエリントンにもピューリッツァー賞が与えられたが、いささか証文の出し遅れの感があると思われる。
 ウィントン・マルサリスは現在ニューヨークの“ジャズ・アット・リンカーン・センター”の総合プロデューサーとして、絶大なパワーを発揮し、2004年10月にはこの団体はコロンバス・サークルに新築されたタイム・ワーナー・ビルに移り、この中にはジャズ専用の大ホール、中ホール、リハーサル室、ジャズ・クラブ“デイジーズ・クラブ”が出来、一大ジャズの殿堂が完成しニューヨークの名物となっているが、これでジャズのかかえる悩みが解決されると言う訳にはいかない。
 ウィントン・マルサリスリンカーン・オーケストラは前述した過去の巨人達の音楽をオーケストラで再現する試みを行っているが、ジャズはクラシックと異なり過去の譜面やアドリブを再現する事からは、新しい意味は見出せないと思う。例えば、エリントンの音楽は、その当時彼が自楽団の名ソロイストのアドリブを想定し、その人のアドリブを引き出すために書いた曲が多く、かつてのエリントン楽団の様な個性的な名手の居ないリンカーン・センター・オーケストラでは、エリントン楽団の再現すら不可能である。また、このオーケストラは、余りにも整然としすぎ、しかも真面目すぎて面白味が無い。20年代の“コットン・クラブ”でエリントン楽団が見せた演奏にはもっと遊びとユーモアと奔放さがあったし、その演奏の前ではセクシーでエキサイティングなダンスも展開されていた。エリントン楽団には芸術的な面とエンターテイメントのある芸能的な面とがあり、その遊びの精神こそが魅力でもあった。現在のウィントン楽団の演奏は教育的な意味合いでの価値はあっても、余り芸術的な価値は見出せない。但し、このオーケストラ等を使っての彼の教育者としての活動は大きな成果を上げつつある。
 彼自身も真の創造に向かわなくてはと気づいているのか、最新のブルーノート・レーベルへの第1作『マジック・アワー』ではワン・ホーン編成のカルテットで、自作のエンターテイメント性のある曲を素材にして思いっきりトランペットによるアドリブを繰り広げ、スリルあるジャズを目指し、現代にジャズの生命を蘇らせようと試みている。ウィントンはもともと傑出したアドリブ・プレイヤーであり、コンボ演奏の方がビッグ・バンドより遥かに創造的である。ブルースやブルージーな演奏を主にしているのも、演奏の生命力の回復を目指すプレイとしては正解だと思う。またダイアン・リーヴスボビー・マクファーリンを起用して歌を加えているのも、ジャズのあり方の再検討としては正しいと思う。モダン・ジャズはバップの途中から歌と器楽演奏を切り離してしまったが、これもジャズの間違った方向の一つだったと思う。器楽演奏も歌と離れては魅力の何分の一かを失してしまう。かつてのハーレム・ジャズでは、この二つのものは完全に合体していた。マルサリスはコンボ演奏でジャズの再生を目指すべきだと思う。
 ところで、最近のジャズ・シーンで、キース・ジャレットのスタンダード・トリオの演奏を高く評価する向きもあるようだが、ジャズ・ピアノ・ミュージックの世界で完成度の高い演奏ではあっても、ジャズそのものを動かす存在ではないと思う。ピアニストがジャズの歴史を変えたことは一度も無い。勿論ピアニストがバンド・リーダーだったり、作・編曲者だったりする場合は別だが、ピアニストがピアノのソロイストである限り、ピアノの世界だけに留まってしまうだろう。その変革はピアノの外の世界へは及ばないのではないだろうか。それに今のキースは“スタンダード”に安住しているように思える。賛否両論はあるだろうが、『ケルン・コンサート』(ソロ)の頃のキースは何処へ行ってしまったのだろうか・・・
 その点では、同じピアニストでもハービー・ハンコックへの期待の方が大きい。彼は作・編曲家であり、ピアノ・トリオよりももっと大きいホーンの入ったコンボでの演奏を試みていて、ウェイン・ショーターを加えてグループ活動は今一番質の高い演奏を展開していると言えるし、“東京ジャズ”等で示した音楽総合プロデューサーとしての手腕も高く評価できる。
 それにしても、黒人ジャズメンにとって、昔の様にジャズを演奏する事に対するアイデンティティが失われてきたとすれば、もう我々は黒人の演奏のみに頼る事は出来なくなったと言えるだろう。その結果ジャズの行方はジャズを演奏するヨーロッパ人や日本人に手渡された事になる。愈々我々自身がジャズの在り方を考え、模索しなければならない時代が到来したし、日本のジャズメンも自立しなければならなくなった。
 果たして、今後も胸をときめかせてくれるジャズが存在し続けるだろうか。これは難しい問題で実は私にもよく解らない。ここ数年ヨーロッパのジャズが台頭しているが、50〜60年代における黒人ジャズ程インパクトがあるとは思えない。カンツォーネの国イタリアや情感重視のフランスのジャズに共感するものがあるものの、ブルーノートやプレスティッジ等50〜60年代ジャズの再発売盤の人気に匹敵する支持を得ているとは思えない。
 では、ニューヨークのジャズは今どうなっているのか。ミッドタウンやダウンタウンのジャズ・クラブもかつてのような活気がない。多分に観光客用のクラブとなり、料金も高いので地元のファンはあまり行かないし、演奏もパック化されて、飛び入りも余り無く、ジャム・セッションもなく、サプライズも余り見られなくなったし、12時半とか1時に終る早仕舞いが多くなった。観光客が朝までジャズを聞く事は余り無いからだろう。
アップタウンの“SMOKE”がかろうじて昔流儀のジャズ・クラブの雰囲気を保っている位だ。
 ハーレムのジャズ・クラブには、未だジャム・セッションの日もあり、飛び入りも見られるし、ハモンド・オルガンも聴け、よき時代におけるジャズ・クラブの熱気が感じられる。ハーレムにはよき時代のジャズの残り火がある。現代から過去まで全てのジャズを振り返って聴く時、日本で一番無視されてきたのが、1920~40年代におけるハーレム・ジャズであることに気付く。そしてハーレム・ジャズの一番の特徴と魅力は、ジャズが他の芸能、歌、レビュー、ダンス、ミュージカル、ジャイブ等と共存していた事。そして、ファッツ・ウォーラーデューク・エリントンキャブ・キャロウェイルイ・アームストロングビル・ロビンソンライオネル・ハンプトン、ルイ・ジョーダン、エラ・フィッツジェラルド等皆芸人としての性格を持っていて、彼らは優れたエンターテイナーでもあった。今こそ、ジャズ芸術家をぶっ飛ばす様な型破りのジャズ芸能人に登場してもらいたい。芸能性等一先ず置いて、遊びに徹したジャズこそを望む。近頃日本でも松永貴志矢野沙織、上原ひとみといった深刻でない遊び感覚の若いジャズ・ミュージシャンが飛び出して受けているが、案外聴き手も心の何処かで遊び感覚のジャズを求めているのかも知れない。もともと奴隷から解放された黒人達が“わあ、自由って素敵だ!”と楽器を通して思いっきり自己主張し、遊び心に徹したのがジャズだったのではないだろうか。
 ところで、ジャズ史というと、ニューオリンズ・ジャズに始まり、シカゴ・ジャズ、スウィングやカンサス・シティ・ジャズを経て、モダン・ジャズのバップが起こり、プログレッシブ・ジャズ、ウエスト・コースト・ジャズ、クール・ジャズ、ハード・バップ、フリー・ジャズフュージョンと図式的に流れを記述したものが多い。しかし、これらはジャズ史の表面の流れや流行現象を追ったに過ぎない。50〜60年代のモダン・ジャズと呼ばれた時期にもデキシーやスウィングは厳然と存在し続けたし、一般の民衆にも支持されていた。「」グレン・ミラー物語』『ベニー・グッドマン物語』『ジーン・クルーバー物語』『ビリー・ホリデイ物語』等スウィング時代におけるスター達の伝記映画は皆一般にはモダン・ジャズ時代と呼ばれた50年代半ば近くから60年代にかけて製作された。この時代の一般大衆は大いにスウィングを楽しんでいた。また、ロフト・ジャズやシカゴの前衛派等は実際には泡の様な存在だったに過ぎない。
 マイルス・ディヴィスの『クールの誕生』の影響を受けてウエスト・コースト・ジャズが生まれたと言うジャーナリストがいるが、確かに何曲かジェリー・マリガンがアレンジしていてクールとウエスト・コースト・ジャズのルーツには共通するものはある。そしてこのマリガンやショーティ・ロジャーズ、シェリー・マン等の発想がウエスト・コースト・ジャズを生んだと言う方が正しいと思う。

                                        ―完―

多くのジャズメンに愛されているスタンダード・ナンバーとは?

 ジャズ・ファンの会話で一番よく耳にする言葉が「スタンダード」でしょう。しかし一部に誤解もあるようだ。
 先ず、出来た(作曲された)当初からスタンダードと言えるような曲はない。全ての楽曲はスタンダードに「なる」のだ。曲のジャンルは何でもいい。例えば《枯葉》という曲がある。これはバレエのための音楽としてジョセフ・コマスが書いた曲に、詩人のジャック・プレヴェールが歌詞を付け、1946年に映画『夜の門』でイヴ・モンタンが歌い有名になる。要するにシャンソンだ。
 しかしキャノンボール名義のアルバム『サムシン・エルス』でのマイルスの名演、『ポートレイト・イン・ジャズ』のビル・エヴァンスの斬新な解釈で、誰もが認める「スタンダード・ナンバー」へと成長した。

《枯葉》は特殊な例だが、スタンダードの大半はアメリカ製ミュージカル、映画の主題歌が占めている。いわゆる“ティンパン・アレー”の作曲家達の作品だ。一例を挙げれば、《朝日のようにさわやかに》は、オスカー・ハマースタインⅡ世が作曲家ジグムント・ロンバーグと組んで1928年に作ったミュージカル、『ザ・ニュー・ムーン』の主題歌だ。
 このようにポピュラー・チューンをジャズマンが好んで取り上げ、定番化すればそれがスタンダード、すなわち「定番曲」ということになる。すなわち世間で人気のある曲が必ずしもスタンダードという訳ではないし、ビートルズ・ナンバーをスタンダードと呼んでも、それがジャズマンによって数多く取り上げられていれば、何ら問題は無い。
 こうしたポピュラー・ミュージックの転用以外に、ジャズマン自ら作曲したものが定番化したものを「ジャズマン・オリジナル」等と称する事もあり、これもまたスタンダードなのだ。代表的なのはセロニアス・モンクの作った《ラウンド・ミッドナイト》だろう。
 それではスタンダードの意味とは何だろう。単に「よく知られている、親しみ易い」という切り口だけでスタンダード・ナンバーを演奏したようなアルバムがあるが、これは本来の趣旨とは違っている。
 そもそもジャズマンが繰り返し同じ曲を取り上げるのは、受けるからというような事ではなくて、特定の曲のコード進行がアドリブをとるのに適しているという理由からだった。それが定番化の第一歩だった。《オール・ザ・シングス・ユー・アー》等が典型例だ。
 次いで、特定の曲目を多くのミュージシャンが演奏すれば、同じ土俵の勝負と言う事で個性の違いが見えやすいという事がある。《ユー・ドント・ノー・ホワット・ラブ・イズ》等、コルトレーン、ロリンズ、そしてドルフィー錚々たる連中が共演しており、どれもが名演だ。アルバムは『サキソフォン・コロッサス』『バラード』『ラスト・デイト』。
 こうした同一曲で聴き比べこそ、聴き手にとってのスタンダードの意味なのです。

ブラインドとは、「スタイルではなく、人で聴く」というジャズの楽しみの王道そのもの!

 ジャズを聴き始めた頃、一番驚いたのは友人が曲名も定かでないグチョグチョのソロ部分で、「あ、コルトレーンだ」と言った事だった。今になれば、これがアルバムを見ないで演奏者を当てる「ブラインド」の、最も簡単な例だという事が解るけど、当時はその一事で彼を見る目がコロッと変わってしまった。
 ブラインドはジャズ・バーで連れの女性を驚かせる効果だけでなく、ジャズの楽しみの基本にも適っている事に気づいたのは、随分後になってからだった。仕事柄ブラインドの挑戦はよく受けた。好きでよく聞き込んでいたミュージシャンは当たったがそれ以外は当たらない。悔しいのでめぼしいミュージシャンの特徴をじっくりと探る。すると、それまでさして好きでもなかったミュージシャンを見る目、聴く耳が違ってくる。
 例えばチャーリー・ラウズ。歴代モンク・カルテットの中ではコルトレーンやグリフィンと比べられ、どうしても相対評価は低い。しかしこの人には、同じ所を堂々巡りするような、かなり特徴的なフレーズが幾つかある。勿論コルトレーンの様なキレはないが、明らかに個性と言える。
 それが解ってくると、B級ハード・バップのサイドに彼が出てくるだけで、ニヤリ、頬が緩むようになる。勿論それだけの事だが、それまで聴き逃していた“ラウズらしさ”に気が付いた効果は歴然だ。同じアルバムなのに面白さがグッと上がってくる。
 もう少し、具体的になると、ソックリさんオンパレードのパウエル派。彼らは、ジャズ初心者にはおそらく区別がつかないと思う。それがブラインド的聴き方をすると、バリー・ハリスソニー・クラークケニー・ドリューといった連中の、微妙な差異が好みの判断材料となる様になる。
 スタイルという枠組みではみな同じ“パウエル派”の中で、各々が洒脱さを表現したり、タッチの重さで勝負したり、あるいは華麗なフレーズの切れ味で見せ場を作ったりと、明らかに他人と違った顔を見せている事が識別出来る様になれば、どの人が好きとハッキリ言える様になる。
 これが「スタイルでなく、人で聴く」ジャズの楽しみ方の王道にかなっている事に気が付いたのは最近の事で、今迄マニアのお遊びと思っていたブラインドを、積極的に私の講義の受講者にも薦めている。
 突き詰めてしまえば、ジャズは何回も時間をかけて聴いているうちに自然と面白くなってくるものだが、それは実際体験してみないと納得出来ない性質のものだ。そこで私は、騙し騙ししてアルバムを繰り返し聴く事を薦めているのだが、ブラインドはそこの所がゲーム感覚でクリアーできる。
 勿論マニアックになる必要もなく、限られた好みやジャンルのミュージシャンの個性が識別出来るようになれば充分だと思う。

オリジナル・フォーマットかボーナス・トラックか!?そんな悩みもジャズファンならでは

 先日あるカルチャーセンターの講義で『サキソフォン・コロッサス』を紹介した。
「何か質問は?」と言うと、年配の方が、「これは最初からCDだったのですか?」と尋ねられた。笑ってはいけない。一般の音楽ファンはアナログとCDの区別や、オリジナル盤などに関心はない。
 そこで「今更聞けない」CDの買い方、基本編を伝授しよう。『サキソフォン・コロッサス』を例に挙げれば、このアルバムは1956年にアメリカの「プレステッジ」という会社によって録音された。形態は30センチLPで、昔懐かしい黒色ビニール円盤、いわゆるアナログ盤というもの。
 この時最初にプレスされたものを「オリジナル盤」と称し、今では希少価値からプレミアが付いて、ジャケットの保存状態の良いものなら20万円を越える価格が付く事も珍しくない。こうしたものは当然アメリカ本国でしか発売されておらず、日本で購入するには、録音当時なら「輸入盤」という形をとるし、現在はいわゆる中古盤専門店に行かなければ手に入れることは出来ない。
 勿論私達はそんな面倒な事をする必要は無く、CDで再発された輸入盤や、日本のレコード会社の発売する日本盤CDを購入すればよい。問題はどれを買うかだ。
 日本盤は日本語解説(ライナーノート)が付いているけれど割高で、音質も輸入盤とは違うようだ。そこで最近は紙ジャケット仕様やボーナス・トラック付き等、あの手この手でファンの購入意欲をそそろうとする。私個人的にはプロデューサーの意向を反映したオリジナル・フォーマットを尊重したいが、別テイクの魅力も捨てがたい。そこで迷うのもマニアの楽しみの一つと割り切るしかない。
 過去作品の再発であれ、新規に録音されたものであれ、出たばかりのものは一応「新譜」というくくりになり、いわゆる大型CDショップ、「タワー・レコード」や「ヴァージン・メガストア」に行けば大体購入が可能だ。但しヨーロッパ盤など輸入ルートの限られるものは、「ディスク・ユニオン」等のジャズ専門ショップに行かなければ入手出来ない事もある。
 こうした専門店は、ジャズ中古盤(アナログ、CD共)の買取もしていて、それらが妥当な値段で販売されているので、盤質劣化の心配のないCDはどんどん買うと良いでしょう。聴く耳をもっていないと思しき連中の放出した好アルバムを格安で入手した時の快感は、ジャズ・ファンならではの特権だ。とはいえ、最近は大型レンタルCDショップのジャズコーナーにも相当名盤が沢山並んでいるし、個人的にコピーする場合は少々手間が要るが超安価で収集出来るのでお勧めだ。
 最後に「廃盤」を説明しよう。版権の関係や知名度の低さのため、再発されていないものを廃盤といい、内容の良いものにはそれなりの値段がついている。これも中古盤専門店で入手できるが、原盤制作会社の倒産やレコード会社の怠慢等の理由で出ないものを除き、「希少価値しかないものもある」という事は頭に入れておく必要はある。

CDの買い(借り)方

 このHPでジャズのABCを知ったら、早速CDショップ(レンタルショップ)にジャズCDを買い(借り)に行こう。何はともあれ、ジャズは出来るだけ多くのCDを聴いて貰わない事には話にならないからだ。しかし、実際に私の講義で受講されている方や入門者の方とお話すると、意外とジャズCDの買い(借り)方がよく解らないという人が多い。そこで簡単なジャズCD購入(レンタル)法をお教えしよう。私でも、CDを買う時は店頭で手に取ってから買う場合と、あらかじめ何を買うか心積もりして行く場合とがある。勿論実際は、事前に決めた数点、そしてたまたま店頭で気に入ったもの数点、という事になるのだが、その各々のケースについて分けてみると次のようになる。
 先ず事前に決めるというのは、例えば雑誌等見て、取り合えず『サキソフォン・コロッサス』と『サムシン・エルス』の二枚を買って(借りて)みよう、という場合。その時一番確実なのは、日本盤の場合は「ビクターエンタテインメント」「東芝EMI」といったレコード会社名と、出来ればアルバム番号を控えて行きます。アルバム番号というのは、レコード会社が製品を管理するためにつけている通し番号で、大概レコード会社の略号のアルファベットと数字の組み合わせになっています。例えば「VICJ-5069」「TOCJ-9001」といった具合です。
 この番号を控えるのは面倒と言えば面倒なのだが、タワーレコードのような大きなショップがある都市ならいいが、地方など、いわゆる町のレコード屋さんしかない場合、そこに現物が無い場合が往々にしてある。おまけに定員さんもジャズに詳しくなかったりすると、話が通じなくて困る事が多い。また、最近は大手レコードショップとの差別化で昔は各ジャンルの物を置いていたが演歌物しか取り扱っていない店も増えてきているのが現実だ。そこでこの番号が威力を発揮するのだ。これさえ伝えておけば、ジャズのジャの字も知らない定員さんでも自動的に目的地に辿り着け、注文も確実に伝達される。そうなのです、購入する場合、現物が無ければ注文すれば良いのです。何日か待たされるが、書物の注文と同じで、廃盤になっていなければ確実に入手できるので、この注文法をおっくうがらずに実行する事です。また、最近はネット通販でも買えるのでわざわざ店頭に行かなくても良く、この番号を記録しておけばすぐに見つけられる。
 この手の事務仕事が嫌いで、あったものをすぐ買いたいという方でも、ミュージシャン名と、アルバム・タイトルだけは控えておいた方が良い。というのは、ジャズの場合、似たようなタイトル、例えば「ライブ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード」なんて代物は、大物だけでもソニー・ロリンズジョン・コルトレーンビル・エヴァンスと何枚もあるので、必ず「誰の」と特定しないと、お店の人に聞いても要領を得なくなる。実は私も自分の所有しているアルバムはミュージシャン名、タイトル、レコード会社とアルバム番号をPCに控えていて、新しく買い足したら順次リストに足していくようにしている。また、私の出演しているFM番組のグログにもその時にかけたアルバム番号は書いているので、リスナーの方が放送後に問い合わせされたり、リクエストされたりする時に便利なようにしている。
cf:http://www.fm-genki.com/program/jazz/

名盤、あなどるなかれ。名盤の威力、健在なり

名盤は、それが有名なものであればあるほど、ついつい油断をしてしまうと言うのだろうか、「聴いた気」や「知っているつもり」になってしまい、肝心のところを聴き逃している事が少なくない。なまじ長く聴いていると慢心も芽生え、名盤を聴くことに対して、一種の気恥ずかしさのようなものもある。
ところがどうだろう、いざ改めて聴いたら最後、今更『サキソフォン・コロッサス』や『クール・ストラッテン』でもないだろうと思っていたさっきまでの自分はどこへやら、ひたすらその圧倒的な演奏に打たれ、釘付けになる。
名盤、あなどるなかれ。名盤の威力、健在なり。いやそれどころか名盤は時代が経過するにつれて益々輝きを増し、それは何百枚もの新作が束になってかかってきてもビクともしない威厳と風格を漂わせ、屹立している。そして不思議な事に、あるいは当然の事にと言うべきかも知れない、それら何百、何千とある新作より名盤の方が遥かに新しい。生まれたばかりの新作と“歴史的”と名の付く名盤、にも拘らず新作が古く、歴史的名盤が新しいというのは、どういう事だろう。
今回、FM放送でジャズを紹介する番組を頂き、制作する上において名盤を改めて聴いて実感したのは、名盤の「底力」であり、それは褪色するどころか、以前に聴いた時よりも更に新鮮な響きとなって迫ってきた。同時に、いかに多くを聴き逃がしていたかも痛感させられた。
謎が解明されないまま謎として残ったものもある。ジョン・コルトレーンは、何故『至上の愛』で不自然とも思えるオーバーダビングを行い、その音を消さなかったのだろう?チャーリー・パーカーの『ジャズ・アット・マッセイ・ホール』の3曲目でピアノを弾いているのがバド・パウエルでないとしたら、果たして誰なのだろう?
名盤を聴くという事は、感動を新たにすると同時に新たな発見に出会う事でもあり、そうした聴き方や楽しみ方に無限に応えてくれるのが名盤でもある。今回、マイルス・ディヴィスに吹かれ、アート・ブレイキーに叩かれ、オーネット・コールマンに押し流されながら、そう確信した。

“Forget about the changes in key and just play within the range of the idea”
Charlie Parker
“We just play Black,we play what the day recommends”
Miles Davis

ライブ・アルバムで解ったジャズの魅力

「ジャズってなんてすごいんだろう」と実感したのは、ジャズの歴史を変えた歴史的名盤と言われるアルバムではなく、歴史的でも世評高い名盤でもないかも知れない、たまたま耳にしたジャッキ・バイアード(p)の『カルテット・ライブ!』というライブ・アルバムだった。
マイルス・ディヴィスの凄さは、ジャズ評論家が薦める『クールの誕生』を10回聴くよりも『フォー・アンド・モア』の1曲目の途中で解った。

ジョン・コルトレーンが「凄い」という事が即座に理解できたのも、『至上の愛』ではなく『セルフレスネス』に入っている《マイ・フェイバレット・シングス》のライブ・ヴァージョンを聴いた瞬間だった。

ジャズの本に出てくる“ホット”や“スウィンギー”、“ハード・ドライヴィング”といったフレーズを身体で実感できたのもライブ・アルバムを聴いた時だった。
ルイ・アームストロングのような古い世代のジャズやミュージシャンには興味が無く、聴く必然性も感じていなかったが、偶然にもラジオで耳にした『タウン・ホール・コンサート』というライブ・アルバムは、時空を越えて胸に突き刺さってきた。
それまで聴いていたチャーリー・パーカーの演奏は、何れも短く、「どこが“即興の神様”なんだろう」と首をひねらざるをえないものだったが、ある日ジャズ喫茶で聴いた、タイトルもジャケットもあってないようなブートレグ海賊版)とおぼしきライブ・アルバムから飛び出してきたパーカーは、延々と長いソロを吹き、確かにそこには“即興の神様”がいた。
普段は馴染みの薄いビッグ・バンドもライブ・アルバムとなると楽しく、親しく聴く事が出来た。バディ・リッチ、ドン・エリス、オリヴァー・ネルソンは、ライブ・アルバム派にとってはデューク・エリントンカウント・ベイシー、スタン・ケントンといった偉人よりも遥かに偉い存在だった。
直球勝負。ただただ吹き、ただただ叩き、鳴らし、歌い、駆け巡り、駆け抜け、そして迎える大団円という一般的に最も多いジャズのライブ・アルバムのパターンは、それがシンプルであるが故にジャズの凄さや魅力がストレートに反映され、そのパワーは不滅の輝きを放っている。